漫画に愛を叫んだ男たち

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長谷 邦夫先生の「自伝」です。
先に、長谷先生が漫画で書いた評伝「赤塚不二夫 天才ニャロメ伝 」を
読んでいたので、
「ああ。この『漫画で愛を』が先で、そこから赤塚不二夫先生方面を切り取ったのが
『ニャロメ伝』なのか」という感じでした。

内容的には、「重い事実」の積み重ねで、ドスンと来ます。
で、面白かった。
アマゾンのレヴューのとおりです。

ただ、アマゾンのレヴュー以外の部分で
思ったのは・・・。

赤塚先生、80年前後から、あんまり真面目に漫画に取り組まなくなったりして、
芸能やテレビ関連の活動に力を入れたり、浮気やアルコールに耽溺したりして、
読んでると、「読者を無視して、どんどん自分勝手に荒れて行く」みたいな
展開になるんですが・・・・。(ここらへんも、スリルがあります)

その原因が、
月刊誌時代から、週刊誌の時代に突入し、
さらにサンデー、マガジンとライバル雑誌を掛け持ち、
その上に、他の雑誌にまで執筆する。
で、しかも、アイデアが重要な、「読み切りギャグ漫画」で、
ネタを考えるだけで、死にそうになる・・・
というか、「そもそもムリだ」という量と質を両立させて頑張った・・・・
という、「殺人スケジュール」にあると思います。

もう、イヤになっちゃった。面白いこと、他にないかなあ。やだやだ・・・・
で、赤塚先生、どんどんヒドイことになっていった・・・。

僕は、そう思うのですが、
この本を読んでいると、そこらへんの「無茶苦茶なオーバーワーク」が、
あんまり伝わって来ない。

読んでると、「赤塚は依存心が強いから」「自分ひとりでは考えられない」とか
いう部分が、きわだつような感じがあり、誤解を生むと、思いました。
そもそも「自分ひとりでなんとかできる量」じゃないのに。

漫画を書くのって、たとえ1本でも、
普通の人が考えるのよりは、遥かに、手間ひまも、頭も使うことだと思うんですが。
たとえ、たくさんのアシスタントを使っていても。

長谷先生自身が、「漫画家」で、
「漫画を書くのが大変なのは、自明のこと」「説明不要」みたいな部分もあるのかな。
それとも、赤塚先生や、長谷先生が、お手本にした「手塚先生」が
もっとすごい「化け物みたいに一人で頑張る人」だったので、
それと比較して、「依存心」とか「ひとりでできない」って、言葉がでるのかもしれません。

でも、「普通の漫画家」や「普通の職業の人」から見たら、
まず「気違い沙汰の仕事ぶり」。

そのために、長谷先生はじめ、古谷先生など
アイデアブレーンがいて、多くのアシスタントがいて、
そして、大量の「質の高いギャグ漫画」を量産していた。

そういうシステムが必要になったのは、当然なことだし、
そういうシステムを作り上げることができたというのは、
中心にいた赤塚先生が、天才的にヒラメキがあったから、そして、
それを作品に定着させるだけの力があったから。
なおかつ、人間的にも魅力があったから・・・。頭が良かったから。

だから、多くの人が、 創造的な雰囲気にひきつけられて、
フジオプロが繁栄したのではないのでしょうか。

そこらへんが、読んでて、あんまり感じられませんでした。
スケベでゲスなところばっかり・・・みたいな。
そういう部分が強烈だから。

なんか、赤塚先生って、若い時から、かなりメチャクチャで、
普通なら「つきあいきれないひと」って、だけのような。
読んでいると。

でも、アイデア会議で、ネタ拾って、それを作品にまとめあげて、
「人情話」にからめたりする、あの手腕は、
「当人がそういう、人情的な人だから」という部分があるからだと思うし。
長谷先生がコンビを組んで、裏方に回ったのも、
そういう「人間性」に惚れたんだろうし。

そういう「人間的で、才能もありまくったひと」が、
殺人的な忙しさで、オカシクなって、
どんどん悲惨なことになり、漫画もボロボロになる・・・というところが
悲劇的だと思うのです。
で、そういう相棒の女房役を、ずっと勤め上げた長谷先生が、
また悲劇的だ・・・というところが、たぶん、この本のキモなのでしょう。

この本では、「細かい事実の積み重ね」が正確に書かれていて、
そういう ヤボなことは、文章にしていません。
そういうことは、読者が感じ取ってくれ・・・ということなのですが、
「漫画を書くのって、そもそも重労働」という部分が、
普通の一般読者の頭の中に「ない」と思いますので、
誤解されると思いました。

「赤塚は、わかい時から、すでに鬱病だったのではないか」
「でも、僕ら周りの人間は、誰もそれをわかっていなかった」っていう
ものすごく重要な話が、巻末のほうに、チョコッと書いてあるんですが、
ここは、もっと、わかりやすく、ドバッと大きくページを割いて、書いて欲しかった。

なんで、赤塚先生も、藤本先生も、石森先生も、寺田先生も、手塚先生も、
あんなに漫画を愛していたのに、こんなに悲惨なことになったのか。
「まんが道」の行く末は、こんなに物凄かった・・・。
で、その後の世代の漫画家は、先輩たちの有様を見て、
早々に引退したり、「書かない」ことを芸にしたり、あんまり糞真面目にやらないように
しているような感じがするのも・・・アレですが。どうなのかなあ?

なぜなんだ! 悪いのは誰だ! 読者か、版元か、社会か、作家当人か?
そこを、ズバズバ、遠慮なく、死んだ仲間の復讐のために書いて欲しかった。
そういう本だと、思ったんですが・・・・違うのかしら?

この本、よくわかってない人が、普通にボケ〜ッと読むと、
「赤塚先生は、仕事に飽きて、真面目に仕事しなくなり、アル中になったダメ人間」
「長谷先生は、それを我慢して立てた女房役」
「女房役がダメ亭主の駄目ぶりを暴露した、一種の暴露本」
みたいな、スケールの小さい本に思われてしまうようなところがあって、
そこが心配です。

でも、とにかく、この本は面白い。
「ああ、そうだったんだ!」の連続でした。
なにしろ、曙出版の「おそ松くん全集」から、「赤塚不二夫全集」
「バカボン」「ア太郎」「レッツラゴン」「ギャグゲリラ」あたりまでが
バイブルの、ハードコア赤塚キッズでしたから。
長谷先生の「しびれのスカタン」も、全3巻、「絶対面白全部」とかも、持っていますよ!

(以下、あとで付け加えた文章)
あと、細かい部分で印象的だったのは、
赤塚マガジンとでも言うべき「まんがNO.1」の創刊パーティで、
いろんな業界人が蒼々たるメンバーで集まるのですが、
なぜか、漫画家がいない・・・というくだり。
それだけ、当時の赤塚先生は漫画家仲間から浮いていたのでしょうか。
他の漫画家仲間と、ゴルフでもたしなんでおけば、
無難な老後を迎えたような気もします。

でも、新しい刺激を求めて、いろんな人と交流したかったんだろうな。

長谷先生は、別の漫画雑誌の創刊パーテイの事も書いてます。
そこで、藤本先生と会い、
「こんなにハデにパーティやっても、あっという間につぶれちゃうんだよな。
そんなもんだよね、この業界」みたいなドライなこと言われて・・・
実際、すぐつぶれました・・・・とか、いう下りなんですが。
それが、そのまま「まんがNO.1」の話の下絵みたいな話で、実に怖い。
藤本先生は、どうもドライで皮肉屋だったような感じもします。

「まんがNO.1」の創刊パーティでは、おおかたの出席者は
「いい雑誌になりそうだ。頑張れよ」とか
無難に励ますんですが、
当時、映画評論家というか、喜劇評論家みたいな感じで、
たぶんギャグには日本一ウルサイ人であったろう「小林信彦」だけが
長谷編集長に噛み付いてきます。

「新雑誌の表紙は、3号連続で横尾忠則なんだって?
駄目だ。そんなの。絶対反対。赤塚さんの絵を表紙にしろ!
でないと、すぐつぶれるぞ! この雑誌」とか、言い張ります。

「冒険心で、『3号連続横尾表紙』にしたのに、なんてツマラナイこと言うんだ!」
と、長谷編集長は、聞き流すんですが、
その後も、小林信彦先生、長谷編集長のところへ
電話まで何度もかけてきて「横尾表紙は駄目だから、赤塚の絵にしろ」
とか言ってきます。
「うるさいなあ。この人、ちょっとおかしいんじゃないの?」
みたいに思ってたみたい。長谷編集長は。

で、創刊号が発売されると、全然売れません。
売れないどころか、本屋に置いていないらしい。
「なんでだ!?」真っ青になって、原因を調べると、
実は、「まんがNO.1」、エロ本の会社が販売元になって、雑誌コードをとって、
取次に回ったらしいのですが、
本屋さん、「なんだこれ? これ、エロ本の会社のだろ? 変な表紙だなあ・・・
こんなの売れない! だから、置かない! もう、並べないで、返しちゃおう」
とか、瞬時に判断して、返品してたらしいのです。
エロ本だと思ってる雑誌の表紙が横尾忠則なら、「わけわかんない」と思われて当然。
「まんがNO.1」つうタイトルも良くなかったかも。
「まんがニャロメ」くらいのほうが、「ああ、ニャロメね」って思ってもらえたんでしょうね。
作り手の趣味とか意識が、時代を先行しすぎたのでしょう。

・・・「だから、言ったのに! 
なにも考えず、バカボンの表紙にしとけば、漫画雑誌のとこに並べてもらえたのに。
なにやってんだよ!」・・・つう、ことだったらしいです。
小林信彦先生の意図は。
さすが、江戸川乱歩の最後の弟子みたいな系譜のひとで、
ヒッチコックマガジン等の推理雑誌の編集長をやった、小林先生ですね。
そこらへんを、ちゃんとわかっていたのでしょう。

小林信彦といえば、「世界の喜劇人」や「日本の喜劇人」。
喜劇映画の中の「細かなギャグ」について、分類、整理した
著作で有名です。テレビとか映画でも、ギャグライター、ネタだしを
やっていた人。ギャグの銀行みたいな人です。
当時、日本一だったんじゃないですか。ギャグに関しての知識は。

で、そういうひとだから、
当時、日本で一番、サイレント喜劇や、ハリウッドコメディの面白さを
うまく漫画に取り入れていた赤塚先生に
特別シンパシーを感じていたんでしょう。
そんなの、漫画、読めば、わかりますから。

で、親身にアドバイスしたつもりだったんでしょうが、
フレンドリーとは言いがたい伝え方をしてしまったために、
かえって、裏目に出たんでしょうね。

小林信彦先生も、赤塚先生も、そして長谷先生、
みなさんの著作が、大好きな僕としては、かなり残念な・・・。
「なんという皮肉な。ちゃんとコミュニケーションがとれていればなあ」
と、泣けてくるような一幕でした。

小林信彦と赤塚不二夫のギャグ対談って、全盛期にやってたら、
さぞや、凄かったろうになあ。
たぶん、1回もやってないよね。性格が合わない感じもありますね。
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by uorya_0hashi | 2007-05-21 01:16 | 漫画関連
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