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プロレスの道場論と同じ

こないだの
「売れる漫画と面白い漫画は違う」って話の
なんとなく「つづき」なんですが。

あれから、いろいろ考えてまして
「なんか、これはプロレスの道場・・・の話と似ている」と
思いました。

プロレスの道場では、
真剣に、投げだとか関節技などの地味で、効果的な基本技や
受け身などの・・・他人が見てても面白くない。
でも、「強さ」ってことに直結する、格闘技としての訓練を
やっているんです。

真面目で、地道に、「底力」をつけていくような練習。
で、道場では、たまに
その「底力」を試すための、真剣勝負もやるんだそうです。
で、当然、そこには「強いひと」「弱いひと」が出てきます。

ところが、この「道場で強いひと」が
興行としての、プロレスで勝ちまくり、スター選手になるかって言うと
全然そうじゃありません。

プロレスは、簡単に言うと「格闘ショー」「見世物の一種」ですから、
そういうショーの現場で、華やかに活躍し、
ファンを獲得できて、興行にお客を呼び、たくさんのお金を稼ぎ出すような
選手が、スター選手・・・ということになります。

「最低限の体力」は必要でしょうけど、
それより大切なのは、
大きな会場で、後ろから見てるお客さんにもわかりやすいハデな大技ができること
だったり、
やられているとき、思い切り痛そうにして、同時に悔しそうに・・・見せて、
反撃のチャンスをうかがっている・・・とかが、顔の表情や、身体全体の芝居で
観客に伝えられるような、ドラマチックな芝居のうまさ
とか
相手がヘタクソで弱いレスラーでも、相手の得意技を、いいタイミングで受けて見せて、
ダメージを受けたふりをして・・・相手の弱いレスラーまで「凄いやつだ」と
観客にカンチガイさせることができるような、 演出力
だとか
顔や、筋肉がかっこいいとか、足が長いとか、背が高いとか、デブだとか
極悪非道な顔だとか、メイク、覆面・・・そういうキャラクターとしての魅力
だとか
いつもテレビカメラがどこから自分を映しているのか熟知していて、
カメラのほうにむかって、絶妙のタイミングで大技だしたり、
痛がったり、ファイテイングポーズとれたりできる、
歌舞伎の見栄を切る・・・というようなことが、普通にできてしまう才能
だとか
試合前に、相手の選手を口汚くののしったりするのが天才的にうまい
とか
記者会見でコップの水ぶちまけたり、
ケンカになりそうな雰囲気をもりあげておいて、その手前で
周りの人間に「止められる」というフリがうまい
だとか、
いまいちお客が集まらないなーということで、じゃあ、路上で喧嘩して、大騒ぎにして、
新聞に書かせて、お客さんを呼ぼう・・・なんていう謀略が平気でできるあくどさと、実行力
だとか
「ダー!」 とか「ウィー!」とか「イチバーン!」とか「オー!」とか「オリャー!」とか「ハッスル!」
だとか・・・・

なんか、そのようなモノが
プロレスの興行では、重要なんです。
一番重要なのは、「お客さんの感情を引きつけて、高揚させるような試合はこびが
できるかどうか」って、ことでしょうけど。

とにかく「道場での本当の強さ」には、ほとんど関係ない。
そういう一連の「えたいのしれないもの」が、「売れるレスラー」の要素なんでしょう。

と、いうことで
考えてみると、漫画の場合も、

修行時代は「強いレスラー」じゃなかった「面白くて、水準に達している漫画」が
書けるように、努力して、勉強する。
その過程は、地味で、はたから見て、面白い物ではないでしょうが、
そこにはちゃんと、系統だった訓練方法だとか、教科書とかがある。
最低限の「再現性」のある、「科学的」といってもよいメソッド。
そういうものがあるのが、本当だと思います。

ところが、漫画学校みたいなところでも、まだ模索中で
勉強のやり方・・・みたいなものは確立していないみたいですし。

版元の編集者が、教師として、
漫画家見習いを教えるという「これまでのやりかた」は、
系統立てて ノウハウを蓄積するようなものではなく、
担当が変わったらリセット・・・とかいう場合もありますし、
教える方も、教えられる方も、昔に比べて
「感受性は研ぎすまされているが、理論面、国語力に弱いため、
お互いコミュニケーションがとれていない」とか、
「編集者=教師」ってのは、もう前時代の考え方だ・・・という話もあります。

で、話はもどって。
漫画の修行とは「面白くするための地味なルールを知り、地力をあげること」
・・・プロレスの道場と同じで
「つよくなるため」「いいものがかけるようになるため」というシンプルなことだと
思います。

で、その次の段階で
「興行としてのプロレス」があり、「スターになるには」みたいな
ビジネスとしての・・・・話になるんでしょう。
漫画の場合だと「商売になる漫画」「売れる漫画」ってことです。

どんなに「テーマも立派で、きちんとお話になって、キャラも立ってて、ちゃんと面白い」
漫画でも、「華がない」とか「時流に逆行」「売れる絵じゃない」とか
判断されれば、スターになるのは、けわしい。
売れるためには、売れるようになるための努力が必要です。
でも、それは、本当に「個人的な魅力」をのばすだとか、
「運でつかんだチャンスを生かす」とか
「たまたまそうなった」みたいな、「同じことをしろと、人に言っても無意味なこと」
だったりして、誰にも教えられない。
勉強することもできないものだと思います。
体験談・・・として、話を聞く・・・というのはあるんでしょうが、勉強じゃない。

また「売ること」「ビジネス」は、
「ものを作ること」とは、本来、全然別のことです。
(プロレスの話からは、もうズレてますが)

「ものを売る」ということは「作ること」じゃなくて、
そのへんにころがっている石を拾ってきて
「これは、ものすごく珍しい・・・月の石だ」とかホラふいて、
買い手が、それを信じて、その石が欲しくなれば、売れる・・・
というような例を考えてみれば、わかるように、
「売る物はなんでもいい」んです。
「買ってくれる人を探す」とか「買ってくれる人を作る」という方向で、ものは売れる。
売れれば「ビジネス」になります。

「ものを作る」ということは、そういうことではない。
極端に言えば、「ひとつも売れなくてもよい」。
作るのが楽しくて、作ることで「自分が満足できる」・・・それでいいわけです。

漫画というのは「表現」ですから、そもそもの成り立ちに
「他人に見せるために書く」という部分がありますから、
そんなにシンプルに「自分が満足してればいい」という話には
ならないんですが、
基本的に
「漫画を書く」ということと「漫画を売る」ということは別です。

それを、キチンと区別して、切り替えて、話をしないと
いろいろややこしい話になります。

「売る」と「書く」は、同人誌の世界では、特に直結しやすいので、
若い人ほど、ゴッチャになってます。
ゴッチャになっていても、書くはしから売れまくるような才能があれば
いいんですが、そうではないと、
時を経るごとに矛盾が大きくなって、無茶苦茶になります。

・・・また話がずれてきました。
とりあえず、おしまい。

読んでくれた人に感謝!
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by uorya_0hashi | 2007-06-02 14:48 | 漫画関連